3月10日の東京大空襲

2016年03月12日

71年前の1945年(昭和20年)3月10日の午前0時7分からの東京の下町を焼き尽した東京下町大空襲は、女子供などの一般市民含めて死者10万人を超える世界最大の犠牲者をだした空襲です。広島,長崎への原爆投下と同じく非戦闘員を無差別に殺傷することを禁じたジュネーブ条約違反であり、人類に対する許しがたい犯罪であります。

敗戦時に国民学校4年生だった私の片田舎に、東京本所からの集団疎開の学童が疎開しておられました。火事(quaji)と家事(kajj)の発音の違い等田舎言葉と鮮やかに違いのある東京弁や彼らが持っている都会の雰囲気に惹かれて友達になりました。梨狩りやイナゴ取り、落ち穂拾いなどにも一緒に出掛けたものです。3月10日に卒業式があるとのことで、6年生39名が帰京したのが3月9日でした。プールに浸かって辛うじて生き延びた引率の先生から39名全員がこの大空襲で亡くなったと聞かされ大ショックでした。

3月10日は陸軍記念日だったのでアメリカ軍は首都に大空襲したのだと思っていましたが、北西の風が強くなるとの予報で決行したと後で知りました。325機のB−29に日本の木造家屋を焼き払うのにもっとも相応しく開発した高性能焼夷爆弾を満載して、約38万発も投下しました。日本軍の抵抗は殆どなく僅かに14機を失っただけでした。

米西戦争に勝利してフィリッピン、グアムを入手したアメリカが、独立以来の西進を続ける先に、日清、日露戦争に勝利した日本がありました。日露戦争や第一次世界大戦時代には,日本と協調路線にあったアメリカでしたが、密かに着々と対日戦争プラン「オレンジ計画」を策定しておりました。そのシナリオは「日本は先制攻撃で一時は優勢になるが、アメリカが反攻し、海上封鎖され、日本は経済破綻して敗北する」でした。神奈川県では茅ヶ崎海岸沖に大艦隊を終結させ多くの機械化部隊を上陸させる計画でした。幸い本土決戦までにはなりませんでしたが、全く「オレンジ計画」の筋書きとおりになりました。

国力の差からアメリカとの戦争は避けるべきであるとの調査報告や意見があったのに、恐れ多くも天皇陛下にも正しい情報を上げずに、対米開戦を決定した東条内閣の閣僚の責任は重大です。2011年3月11日の東日本大震災では、東京電力は大津波対策を怠って福島第一原発をメルトダウンさせました。5年経った今でも破壊された原子炉の内部がどうなっているのかさえ判らず、何の解決策も進んでいません。原因の解明,責任の追求もなされていません。一票の格差が違憲状態にあり,その制度によって選ばれた違憲の国会,内閣は、国会が依頼した審議会が答申した選挙制度の改革を渋っております。私達日本人の指導者達の綿々と続く無責任体制を即刻糺す必要があります。

食と健康のコンサルタント 渡邉 憲一