2.28事件

2017年03月01日

台湾への最初の訪問は、私が働いていたアメリカの親会社がオランダとアメリカの会社が合併して出来た会社だったので、台湾に二つの代理店がありそれを一つに整理する目的で訪れました。この時は大学の寮友が台北大使館に勤務中で故宮博物院などを案内して貰いました。北投温泉に逗留中に台風の接近を告げられ、慌てて帰国した記憶があります。

カリフォルニア州の乾燥野菜の会社で働いていた頃には日本の乾燥玉葱の需要の急増を補う為に、台湾産の乾燥玉葱を輸入する可能性の検討に訪れました。この時に日本大学を卒業し、蒋介石の国民党軍で日本軍と戦い、蒋介石が台湾に逃れた時一緒に台湾に渡った張さんと知り合いました。私も若かったので張さんに「こんなに飲みっぷりのよい日本人は見たことはない。」と台北の飲屋街を明け方までひきまわされました。奥様が日本人で台北に行くとご自宅にも招かれました。彼はお寿司が大好きで、彼が来日すると築地のお寿司屋さんに案内し、銀座,赤坂を飲み歩いたものです。

養殖した合鴨を日本に輸入する会社の顧問をしていた時に、高雄を訪れ半日タクシーをチャーターして観光しました。この時の運転手さんが台湾人(本省人)で学校の先生をしていた方で、半日の会話で私に話しても大丈夫と判断されたのか、私に1947年2月28日の国民党軍による大虐殺事件を語ってくれました。既に20年以上も前から頻繁に台湾を訪れていたのに、この2.28事件を全く知らなかった私の無知を恥じ衝撃でした。

丁度70年前の2月27日の夜、台北市中でたばこ売りをしていた台湾人老女を取締官が虐待したことを機に、台湾人の国民党政権への不満が噴出し、騒動となり翌28日に警備兵が発泡し、各地で人民が蜂起したましが,国民党軍により鎮圧されました。犠牲者は1万8千人〜2万8千人とも推計されています。情報封鎖で日本に伝えられませんでした。

第2次大戦後日本に代わって台湾を統治した国民党が起こした事件です。台湾人は「本省人」と呼ばれ、中国共産党に敗れて台湾に逃れた国民党の人達は「外省人」と呼ばれ,当時は「外省人」が権力と経済利権を握っていました。大陸から逃れてきた国民党に自由と民主を求めた抵抗運動だとされております。

高雄でのかの運転手さんが語るには、「外省人」には跡継ぎがなく、「本省人」と結婚するので「外省人」の血は薄まり、台湾人「本省人」の時代が30年後には必ずやってくるとのことでした。中国共産党は台湾は中国の一部であると主張しております。南沙諸島の岩礁群を埋め立てて軍事基地を作った中国が台湾を併合したら,わが国は中近東からの石油の海上輸送のルートを絶たれ危機に陥ります。「本省人」の統治よりは、日本人の統治の方が格段にましであった為、親日的な台湾ともっと仲良くしたいと思います。東日本大震災の時には一番多額の義援金を寄せてくれた国です。

食と健康のコンサルタント 渡邉 憲一