アイスランド航空の最初の日本直行便に乗って

2017年03月30日

2003年10年11日(土)の午前3時羽田発のアイスランド航空(FI)893便で、アイスランドの首都レイキャヴィークに直行しました。アイスランド航空が初めて日本からの直行便を試みた3便の中の第2グループでした。私達だけが天候に恵まれました。

地球の内部で高温高圧でとけているマントルが大西洋の真ん中で地表に吹き上げ、それが地上で見られるのはアイスランドだけです。大西洋のど真ん中から地表(大部分は海面下ですが)に吹き上げて固まったマグマは、アメリカプレートとユーラシアプレートになります。アメリカプレートは西に向かい,ユーラシアプレートは東に向かって、わが日本列島の東側で再び邂逅(久しぶりに巡り会い)します。ユーラシアプレートの下に、アメリカプレートが潜り込んで1万メートルを超える深さの日本海溝が出来たのです。アメリカプレートに引き込まれたユーラシアプレートが跳ね返る事で,大きな地震が起こるとされてきました。6年前の東日本大地震は海底の大規模の滑りが原因とされています。

私は西と東に別れ気が遠くなるような長い歳月を掛けて日本列島の東海岸で相見える二つのプレートを自分の足でまたぎたいとの想いでこの団体旅行に参加しました。勿論マントルが噴出している所などはまたげません。マントルが冷却して二つのプレートの境目にある亀裂が残っている場所をギャウ(gja)と言いますが,その割れ目をまたいで,二つのプレートを私自身の両足でしかと跨いだと記念写真を撮りました。

私は二つのプレートを跨ぐのと氷河と火山、さらに雄大な滝や広大な露天風呂ブルーラグーンにしか関心がありませんでした。実はアイスランドは、オーロラが頻繁に現われるオーロラ帯の中心に位置するので、空が晴れて暗くなればいつでもオーロラが見られるのです。この団体旅行の他の皆さんは「オーロラ・ハンター」でオーロラ撮影用の高級なカメラや写真器材を携えて参加していました。私がバカちょんカメラだけしか持っていないと知ると皆さん目が点になりました。北部アイスランドのミーヴァトン湖のほとりのホテルに滞在して,たっぷりと2晩全天を覆うオーロラをこの目でしかと堪能しました。

北海道と四国を合わせた国土に当時の人口は約28万人、大部分が氷河と火山に覆われている為とは言い,首都(当時は人口は約10万人)を除くと、日本の過疎などとは較べようもない程の凄い過疎です。寒くて灌木しか生えないので、木材などの建築資材、水産物を除く食糧、ガソリンは全て輸入で、酒類を含む食品の価格は概ね世界一高い東京並みでした。世界中から優れた食品を輸入しているので果物など食事は美味しかったです。

北にあって厳しい気候なのに、日本に匹敵する長寿国で、国民一人当たりのGNPは日本のそれを上回っております。輸出品目は種類も豊富な水産物と羊肉と羊毛で織ったセーター等です。地熱の利用が活発で,地熱発電による安価な電力で、ポーキサイドからのアルミ精錬、マグネシュウム、非鉄金属(合金鉄)などのエネルギー集約産業で暮らしています。私達も急激な人口減少の怯えずに、知恵を絞り、皆で協力して、アイスランドを見習って人口や労働人口が減り、高齢者が増えても豊かに暮らせるように努めましょう。

食と健康のコンサルタント 渡邉 憲一