わが家の庭に今年も鶯(ウグイス)が訪れました

2017年05月11日

5月2日にわが家の庭先で鶯の初鳴きを聴きました。前後してわが家の庭と裏のお家の庭に庭師さんが入って、雑草を刈って下さったので地中から虫が沢山現れました。その虫を食べに今朝も朝早くから鶯が訪れいろんな鳴き方を楽しませてくれました。私が長いこと横浜市の最高地点と思い込んでいた標高153.3mの円海山周辺の緑地に住んでいて時々里におりてくるようです。残念ながら最高峰は大丸山、最高地点は大平山の尾根だそうです。

バブル時代に円海山の周辺の交通不便な地域に大規模な団地が続々と開発されました。人口減少と超高齢化時代の現在は、大都市圏では交通の便利な地域への住民回帰の傾向が強くなっています。交通不便な団地では、超高齢化とともに空家が増えております。わが家の近くのJRの駅から徒歩15分以内でも、空家が増えています。横浜市も超高齢化に対応したCompact city建設に方向を変える必要があります。

古い漢詩に「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」とあります。毎年花は同じように咲くが、歳月を重ねると人の世は同じではないと、自然の変化と比較して身近な人達との別れなど人の世の変化は激しいと例えた漢詩です。毎年鶯の来訪を伝えていた故郷に住んでいた同い年のメル友は昨年秋に彼岸に渡り、今年2月には義母が102歳(数え年では104歳)で天寿を全うしました。まさに死ぬまで健康で長生きし突然大往生するピンピンコロリです。私は食生活でPKK(ピンピンコロリ)運動を推奨しております。

新潟県の越後平野の穀倉地帯のどん真ん中で生まれ育ち、大学時代から何度も引っ越しましたが東京都内に住み続け、1973年(昭和48年)に横浜に移り住みました。現役時代は朝早くから夜遅くまで都心で働き、横浜には寝に帰る典型的な日本経済の成長時代の猛烈社員の一人でした。年を重ねてから横浜市をじっくりと観察すると、人口は東京都に次いで二番目の大都会ではありますが、都会と田舎の良さを兼ね備えた住み心地の良い街であることを痛感しています。1859年7月4日(安政6年6月5日)に神奈川として開港されたので、海外の文物を取入れて発展させたハイカラな雰囲気があります。

鎌倉時代以前からの歴史もあり、美術館、博物館、音楽ホール,劇場,寄席、横浜スタジアム,日産スタジアム、動物園,水族館などの文化施設も多くあります。大学は横浜国立大学、横浜市立大学、東京工業大学などの公立大学、宣教師が創立したフェリスなど30近い大学のキャンパスがあります。京都市では市内にある60近い大学が、単位の取得を認めあうなど大学間の交流が盛んですが,横浜市にはそのような動きはないようです。

中心市街地を離れますと農地と住宅が混在しており、公園も多く緑豊かな都市です。市の面積の約7%が農地で、約4,200戸の農家の方々が、主に小松菜、キャベツ、ほうれんそうなどの葉物を中心に約100億円の農産物を生産しております。生産地と消費地が近く,市内の農産物の地産地消を支援する「はまふうどコンシェジェ」や「はま菜ちゃん」、「ハマッ子」など横浜生まれの農産物のブランド化の仕組みがあります。

横浜駅から徒歩20分の便利な場所に、10万6千平方メートルもの敷地のある横浜市中央卸売市場があります。東京の中央市場の移転問題が揺れています。食品の流通が激変している現状と先を見据えて中央市場の機能を見直す時期にきています。消費者が生産者の顔を見ながら食品を買う傾向は益々強くなります。現に横浜市内には農産物の直売所が約1,000ケ所もあります。朝市・青空市も市内各地で盛んです。時代遅れの食品流通に関わる法律を早急に改め、情報通信技術(ICT)と低温流通技術を大いに活用すれば、今よりも鮮度の良い生鮮食品を、しかも迅速に供給出来て外食産業や消費者に喜ばれる中央卸市場に成長する可能性は高いと確信致します。横浜は産地と消費者を結ぶ先進地です。

食と健康のコンサルタント 渡邉 憲一