オーバーブッキング初体験

2018年04月20日

1960年代では海外出張が珍しく、私がアメリカ資本100%の在日子会社からニューヨークの親会社に出張するにも、家族や社員が羽田に見送りに来てくれました。会社の出張規定では、海外出張はファーストクラスとなっているのに、総務部長が忖度してエコノミークラスにされたことを後で知りました。当時ビジネスクラスはなく二つのクラスだけでした。成田空港も存在せず、航空機はDC8で航続距離が短く、羽田からNYまで直行できず、シアトル/タコマで入国手続きを済ませ、国内線に乗り換えてNYに行きました。

総務部長は「私が渡邉の海外出張の航空機をエコノミーにしたので経費を節約出来ました。」と得々とアメリカ人の社長に報告していたと社長秘書から聞きあぜんとしました。当時取引先も含めて外資で働いていた男性の日本人の中には、英語は流暢に話せるが外国人の上司におべんちゃらを言って能力もないのにのさばっているのが多かったです。外資で働く英語の出来る日本人の女性の方が能力もあり、人柄もよい傾向にありました。

私が働いていた会社の年配の社長秘書は実に有能な方でした。彼女は後で外資向け秘書の養成学校を創立された程です。私の日本式の下手な英文の親会社宛の文書を、英語らしい英語に改めながら私の個性を活かした表現で文書を手直しして下さいました。在日外資の外国人社長との面談の機会が多かったので、当然社長秘書を通じての日程調整(アポ取り)をやりましたが、彼女は男女を問わず抜群のビジネスパースンでした。

オーバーブッキングの初体験は、羽田発のノースウェスト航空でした。香港始発の便で指定された席には香港からの先客が座っており、機内から降ろされました。エンジンの排気口の後ろに仁王立ちしておりましたら、パーサーが機内から走り出て来て、ファーストクラスに1席だけ空席があると言いました。私と同じように航空機から降ろされたノースウェスト航空社員の3人家族は辞退し、フィリッピン人の女性二人組がおりました。彼女らは二人一緒でなければと辞退したので、私は勇躍してファーストクラスに座りました。空港ビルの屋上から私を見送っていた人達は何が起きたのだろうと心配したそうです。当時羽田空港は今より遥かに狭く貧弱で、空港ビルの屋上からタラップを見られたのです。

はじめてのファーストクラスでしたので、客室乗務員の勧めるお酒は全て拒まないで飲んでいたら、まだ若くてお酒に強かった私でもすっかり酔っぱらってしまいました。航空機の上ではアルコールの廻りが早いことをはじめて痛感致しました。

2回目は1998年3月のスペイン旅行で知り合いになった4組の夫婦で何度目かのハワイ旅行の時です。私達若手2組がのんびりと搭乗手続きをやっていたら、航空会社の社員に搭乗券を取り上げられ、ビジネスクラスに案内されました。何でもエコノミークラスがオーバーブッキングで、そこの席を空ける為にその航空会社のカード会員である私達を1ランク上げて搭乗させてくれたのです。先に搭乗した同行のお年寄り組2組は、私達がエコノミークラスの座席に現れないのでハワイに着くまで心配していたそうです。「残りものに福有り」と笑い話になりました。

食と健康のコンサルタント 渡邉 憲一