1966年7月4日

2018年06月30日

ニューヨーク(以下NY)にあるアメリカ本社研修の為に、私が日本の会社を退社して転職した翌年の1966年7月4日(月・米国独立記念日)に初めて海外に渡りアメリカの土を踏みました。当時世界一の航空会社であったパンナム航空の最新鋭機ダグラスDC8で羽田からシアトル・タコマまで飛びました。当時は日本からNYまで直行出来る航続距離の長い飛行機は有りませんでした。パンナム航空は1991年12月に運行を停止して今はありません。

シアトルで入国手続きをすませ、国内線に乗り換えてNYのJ.F.ケネディ空港に向かいました。シアトルからNY迄の距離は東京からバンコック迄の距離と直線距離では殆ど同じです。アメリカの西海岸から東海岸まで5時間もかけて飛ぶ1万メートル上空から下界を眺めますと、人家のない広大な大地に延々と立派な道路が続いていました。私達のお爺さんや親父さん達は、その前に中国との間に長い消耗戦をやっていたのに、最後にとんでもなく強力な相手と戦争を始め、しかも3年有余も戦ったもんだと感心致しました。

NYに着いた日は40℃を越えておりましたが、NYでは湿度が低いのと室内では猛烈に冷房を効かせてあるので苦痛では有りませんでした。シャワーを浴び夕食を食べに熱気の残る夜のNYの街に出ました。焼肉の匂いとチーズのようなバタ臭い匂いとが混じりあった匂いが街角に漂っておりました。

翌日からホテルの売店で購入した地図を片手に、横幅が約4km、南北の長さは約20kmのマンハッタン島をバスと地下鉄を使って歩き回りました。私より背の高いの低いの、超デブとスタイルの素敵なの、また肌の色、髪の色、目の色の異なる雑多な人種が、裸に近いのから、真夏だとゆうのに冬の長いオーバーを着込んだのまで本当に多彩な人達で賑わっていました。

皆さんにもこのようなご経験がありませんか? 初めて目にする光景や初めて訪れた場所なのに、以前に慣れ親しんだ光景・場所のように感じたこと。多分絵画か写真か映画かテレビ等で以前に似たような光景を見たのかも知れません。高いビルが密集し、表示は英語で、歩いている人達は多彩ですが、私は懐かしい記憶が呼び起こされ昔からマンハッタンに住んでいるようなアットホームな気持ちになりました。約40年前に初めてイエローストン公園を訪れ大きな間欠泉群と人間の手が全く加えられていない森と湖を眺めた時に懐かしい気持ちになったのと同じです。前世で私はイエローストーンに住んでいた熊ではなかったと思う程でした。

City of New Yorkはアメリカ合衆国ではなく、あたかも国籍・国境を超越したCosmopolitanの世界で近未来の地球のあるべき姿だと感心しました。度々アメリカを訪れるにつれ、隠れた人種差別、とてつもない貧富の差、ダーウインの進化論を真っ向から否定するキリスト教原理主義者が南部に多いこと等を知ることとなりました。

2001年9月11日のNYとワシントンDCでの同時多発テロを契機におおらかで寛容なアメリカは変身してしいました。この事件の当日の朝に私は偶然にも、二度目のイエローストーン観光を控えてウエスト・イエローストンのホテルに泊まっていました。幸いにも4人の大統領の石像のあるラッシュモア山(映画「北北西に進路をとれ」の最後のシーン)から映画「未知との遭遇」のデビル・タワー、同じく映画「アニーよ銃を取れ」の撮影現場、イエローストーン公園、映画「シェーン」の撮影現場であり米ソ首脳会談が行なわれたグランド・ティトン、スネーク川の川下り、ソルトレイク・シティの観光迄の全ての旅程には支障は有りませんでした。しかし、一時アメリカを出入りする国際便、国内便の全てが禁止された影響で、アメリカを離れる際にロスアンジェルスで3ケ日間足止めされました。

食と健康のコンサルタント 渡邉 憲一