83歳まで生かして頂いて

2018年07月16日

1931年(昭和6年)の柳条湖事件を契機に満州事変が始まり、翌1932年(昭和7年)3月1日に満州国の建国宣言がなされました。同年の5月15日の5・15事件では海軍の青年将校が反乱し、犬飼毅内閣総理大臣・立憲政友会総裁を射殺しました。犬飼首相が暴徒を前に発した「話せばわかる」の最後の言葉が有名です。この凶弾で大正時代から根付き始めた政党政治・民主政治の芽が摘まれてしまいました。

私の生まれた翌年の1936年(昭和11年)2月26日には陸軍皇道派の青年将校がクーデータ未遂事件、即ち2・26事件を起しました。軍事費の削減を図り財政の立て直しを図った達磨こと高橋是清大蔵大臣などが殺害されました。1929年10月24日のニューヨーク・ウオール街の証券取引所の株価の大暴落から始まった世界大恐慌の影響を受けた日本経済の不振と、重臣、軍閥、財閥、政争を繰り返す政党政治、政治家への失望と怒りが原因と言われています。軍部の力が強くなり、1938年(昭和13年)7月7日に北京郊外の盧溝橋事件で日中の軍隊が戦火を交えて「支那事変」が始まりました。

1938年(昭和13年)に総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用出来る「国家総動員法」の制定、1939年(昭和14年)7月ソ連軍が関東軍を圧倒的な近代兵器・火力で総攻撃して日本軍は大敗したノモンハン事件。1940年(昭和15年)9月にヒトラー率いるナチス・ドイツとイタリアのムッソリーニと日独伊三国同盟を締結し、対ソ連、対米英に対応する枢軸国が生まれました。同年にはナチス・ドイツを見習って、効率的に戦費を調達する目的で「源泉徴収制度」が採用され、国民の納税者意識を目覚めさせない為に、現在もこの制度は続いて給与所得者が100%課税されています。1941年(昭和16年)12月7日に日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲して太平洋戦争が始まり、1945年9月2日に日本は降伏文書に調印しました。

軍国主義が強まる過程で私は生まれ、戦時色の強い時代に幼少時代を過ごしました。戦時中に「鬼畜米英」、「撃ちして止まん」と言っていた偉そうな大人達が敗戦とともに手のひらを返すように「民主国家アメリカに学べ」になり、立派なことを口にする人達は信用出来ないことを学びました。まさに「巧言令色少なし仁」で今の指導者達もそうです。

家の外に「かわや」と称して便所があったドラマの「おしん」の幼少時代のような状況から、TOTOのトイレに代表される世界に冠たる便器が設備されたトイレが家庭だけではなく、駅や公共施設にも普及していることが象徴するように、私達の住環境は向上しました。食生活の洋風化との相乗効果で日本は長寿国になりました。信じられないかも知れませんが、上水道の蛇口から安心して水が飲める国は地球上に200を越える国々がありますが、日本を含めて幾つもないのです。また私達は高品質の小麦を世界中から買い漁り、他国よりもおいしいパンを口にしています。私は戦前、戦中、敗戦直後のどん底生活から、世界でも最高水準の生活を享受出来た貴重な経験をさせて頂いたことに感謝しております。

食と健康のコンサルタント 渡邉 憲一